原稿を書くおばあちゃん


おばあちゃんが、真剣な顔で何かを書いている。

「町内の会報たのまれたんだけど、

なかなか書けないんだ〜」

苦戦の末、できあがった原稿です。

みなさんにも見ていただきたいので、

おばあちゃんには内緒でアップしますね(ハハ)




◎三世代で暮らして    永島ヒデ

昭和22年に、夢多き青年だった夫と出会い前橋に嫁ぎましたが、新婚時代の甘い思い出はほとんどありません。親兄弟10名の世話に明け暮れる日々でした。姑の作る料理はどれも美味しくて、私はカルチャーショックを受けました。その時教えてもらったお料理は、私流にアレンジして今も作り続けています。昭和43年に夫が公園の遊具を作る会社を興し、私も事務を手伝うようになりました。お昼になるといつも、お弁当を注文していたのですが、従業員さんがなんとなく食べ足りないような表情をしているのです。ある日私が、大きな鍋で豚汁を作ってふるまうと、みんなの顔が見違えるように生き生きと輝きだしました。やっぱり料理は愛情なんだとしみじみ思ったものです。その後20年間、毎日いろいろなおつゆを作り続けました。
昭和も終わりを告げる63年の1月。夫が急逝し、後を追うように姑が亡くなりました。この時ばかりはさすがの私も力を失いました。
周囲のすすめもあり、住み慣れた家を離れて赤城山の良く見える家で、長男家族と同居を始めたのです。早いものであれから19年。三人の孫たちもすっかり大きくなりました。三世代で一緒に暮らす一番の良さは、お互いにいろんな刺激を与え合えることです。料理ひとつにしても、家族がいろんな意見を出してくれるので、「ようし、おいしいって言わせるぞ。」という気持ちになるんです。
3年前に、孫娘と嫁が私のくらしや料理をブログにしてくれた事で、新しい生きがいができました。本人としては、あたりまえの生活をしているだけなんですが、たくさんのみなさんに応援してもらえるなんて、なんだかとっても不思議で恥ずかしい気持ちです。


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